【宿と常連客の奇妙な駆け引き】 (Photo Essay 【その姿が見えなくなるまで続けよう・・・(?!) 〜追憶の礼文島・船泊港にて〜】余話・その1)

これはPhoto Essayの【その姿が見えなくなるまで続けよう・・・(?!) 〜追憶の礼文島・船泊港にて〜】のこぼれ話になります。

まずは写真にあった第5宗谷丸のお話。
今は、このフェリーもちょうど写真の頃の1991年前後から就航した新造船『ニュー宗谷』以降には出番も無くなり、その後引退していきました。
現行のフェリー達が、軒並み3500トン前後とかなり大型化されて高速化もしているのに対して、この第5宗谷丸は700トン程度。

速度の方も、今でこそ稚内−香深間が2時間を切るのに対して、船泊の方が香深よりも若干距離があることを差し引いても3時間余りという有様。
しかも、今の船たちはいわゆる『スタビライザー』とか言われる、横揺れ防止の装置(という程大げさなモノでもないらしいが・・・)が装着されているが、こいつには無かった。
従って、天候が悪い日などにはかなりローリング(横揺れ)が激しい船でもあり、船の形状も横の寸法に対して縦方向が短い『ずん胴型』でもあったので前後方向もかなりの揺れ。

時間も他よりかかることもあったので、船が苦手な人にはかなりキツい船だったかも・・・
正直、わたしがこの船に乗ったときにもかなりの悪天候にあって、横になってるのに窓から海が見えたりしていました・・・(爆)

次は船泊港について。
この港も今は、利礼航路の定期路線からは外れてしまいましたが、香深港の緊急避難港の役割だけは残っているらしい。
香深港が地形的に外海に完全に面してしまっているために、大きな低気圧などがやってきた時などは港にかなりの高波が押し寄せてくることもある。
それに対し、船泊港はちょうどスコトン岬と金田ノ岬という2つの岬に挟まれた湾内にあるので、香深港に接岸できなくても船泊港では大丈夫ということもあるようです。
事実、そんな天候のときに船泊港に避難・係留されていたフェリーの姿を見たこともありました。

最後に・・・
Photo Essayではこぼれてしまったお話を少々。

あちらにもあったように私が泊まっていた宿はこの港から徒歩圏内。
ただ、船泊には稚内からの便は1日1便。
しかも昼過ぎに稚内を出て夕方前に到着とかいう中途半端なダイヤだったこともあって、まず普通なら香深の便を使う人が多かったのだけれど。

でも、そこをあえて船泊から入ろうと思いつくわたし。
本来なら香深からは宿まで車で1時間弱ほど離れていることもあるので、必ず宿側は出迎えに行くのが基本。
そういうことですので、いつ到着の便かを前もって言うのが筋なのだけれど。

しかし、それをあえてせず・・・ただ『便は決まってないんで乗る前にでも連絡します』とだけ前の日に告げて、当日は船に乗り込んでしまう。
そして、船泊港に到着したら何食わぬ顔して宿までてくてくと歩いていき、

『ただいまぁ〜』とひとこと。

宿の人は、連絡が無いから最終便ででも来るのかな・・・なんて思っていたところに私が現れるもんだから、一瞬びっくり!私はニヤリ・・・
まあ、ちょっとした悪戯心でしたね。。

でも、この悪戯は船泊便で他の人もやって来たりすると、その人を出迎えに港まで宿の人が来てしまうので、驚かそうという意図が崩れてしまう。
それに、二度目以降となると相手側も心得てくるもんで、連絡しないで行くと港で待っていて今度はあちらが、してやったり!という表情でニヤリ・・・でした。

次に宿の人を驚かす悪戯といって思いついたのは、同じく船泊の集落から近い礼文空港へ空路でやってくるということ。
でも、わざわざそのためだけに安くは無い航空運賃払うのもね・・・
そう思ってたうちにこちらの悪戯は、実行できずに月日が流れてしまいましたが。。。

以上。
何度も何度も島に足を運んでいるうちに出てきた、宿と常連客との奇妙な駆け引きのお話でした。
今となっては、宿そのものが船泊から別の場所へと移転してしまったので、出来ることの無くなった悪戯ではありますけれどね・・・


[ 戻る]